日々の泡

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戸塚祥太 Solo Tour 2024 guerrilla love@Zepp Haneda 20241027感想-ここが僕のいるべき戦場

 

 戸塚祥太さんのソロライブのオーラスに参加しました。

 

 以下セットリスト。

01. Guerrilla Love
02. ドラマ 
03. 君といた 
04. V 
05. 月に行くね、光の連続 
06. Departed
07. 散歩
08. Knee Socks(Arctic Monkeysカバー)
09. Sex(The 1975カバー)


ポエトリーリーディングコーナー

「河に」「君は知っているか」「帰途」


10. Fly(SMAPカバー)
11. Replicant, Resistance(錦織一清カバー)
12. Lonely Dancer 
13. If you don't know break up you don't know love 
14. Dolphin 
15. トキメキ イマジネーション 
16. 星が光っていると思っていた 

 

・アンコール
17. 頑張れ、友よ!

18.バトルクライ(BUMP OF CHICKENカバー)※東京最終日のみ

 

 事前にセットリストを見ており、「アークティックモンキーズやThe 1975のカバーだったりポエトリーリーディングコーナーがあったり、今回はそういう感じのソロライブなんだな~」と思っていたので、いきなりバトルクライを最終日に歌われてビビりました。

 元々戸塚さんはBUMP OF CHICKENが好きで、過去にレギュラー放送があった「A.B.C-Z 今夜はJ's倶楽部」というラジオで「戸塚祥太のオレとBUMP」というコーナーをやっていたり、有料ブログでBUMPの話をしたりしていたのだが、まさか最終日にバトルクライを持ってくるとは……。

 普通、BUMPのカバーをすると「藤原基央っぽい歌い方」になると思うのですが、戸塚さんの場合はちゃんと「戸塚祥太のバトルクライ」だった。本人が薄まっていなかった。

 

BUMP OF CHICKEN バトルクライ 歌詞 - 歌ネット

 

 私は「星が光っていると思っていた」がとても好きで、初めてコンサートでパフォーマンスを観たあと、あまりの衝撃に当時ファンだった若手俳優へのファンレターに「星が光っていると思っていた」の歌詞を手書きで書き写して送ったのですが(怖い話)、今回の星が光っていると思っていたもとてもよかった。曲の最後の照明で星が描かれるような演出が綺麗だったので、映像化されたらいいな……洋楽カバーもあるので全部は難しいかもしれないけれど一部だけでも……。

 SMAPのFlyカバーもとても好きだったので映像に残してほしい。撮影可能コーナーだったのでオタクの撮影した映像は残っているのだけれども。

 

 ~以下個人的感想~

 2024年にバトルクライを演奏する戸塚さん、完全に「あの頃のハイラインレコーズ」を一人でやれるので、その調子でsyrup16gとかART-SCHOOLとかBURGER NUDSにも来てくれないかな……。ちなみに私は戸塚祥太さんのソロライブでバトルクライを聴いた翌週にBURGER NUDSのライブに行き、豪雨の中syrup16g野音を観たので「ひとりハイラインレコーズ」をやりました……。

 

 戸塚さんの次の舞台も決まって楽しみですね!

 良いソロライブだったな。

 

 

 

 

 

 

20241101 BURGER NUDS新代田FEVERライブ雑感ー私とBURGER NUDS

 BURGER NUDSの新代田FEVERのライブに行った。

 実はBURGER NUDSのライブを観るのは初めてだった。門田氏ソロ名義や弾き語りではBURGER NUDSの曲を聴いたことがあったが、「BURGER NUDS」としてのライブを観るのは初めてである。

 

セットリスト

歪み

自己暗示の日

空気清浄機

指輪

タネリ

Lesson

逆光

BRAVE GIRL IN HELL

ANALYZE

AM 4:00

ミナソコ

cold burn

 

 

***

 

 私がBURGER NUDSを聴き始めたのはおそらく17歳で、2012年のことだったと思う。初めて聴いた曲はミナソコで、今でも大切な曲だ。

 BURGER NUDSの曲には人生で三度ほど救われている。もちろんBURGER NUDSだけではなく、他のバンドも含まれているが。

 一度目は17歳のときだ。当時は精神的に肉が食べられなくなったり、というかそもそも全体的に食事をほぼ摂りたくなくなったりし、今より15kg痩せていた……。授業中に低血圧で倒れたりしていた。17歳のイヤホンの中で流れていたバンドのひとつにBURGER NUDSがあった。

 二度目は21歳、大学四年生のときだ。就活も終わり、必要な単位を取得し、いわゆる燃え尽き症候群のような状態になっていた。就職先も決まり、大学も卒業できるのに、すべてが不安で毎日朝8時まで泣いて過ごして、それから冷凍チャーハンを食べて血糖値を上げて眠り、毎日昼夜逆転で過ごし、一日中自室のベッドにいる生活が続いていた。21歳のイヤホンの中でもBURGER NUDSが流れていた。

 三度目は……ここまで書いて三度目もあるのかよという感じだが……就職二年目、24歳のときだ。当時、仕事の上司、交友関係、その他全部が駄目で完全に倒れてしまい、本当に1,2ヵ月ほどベッドから起き上がれず、仕事にも行けず、食事もろくに摂れず、テレビも映画も小説も漫画もすべて受けつけなくなった。というより、脳がまったく働かなくなった。毎日ベッドで横たわったまま、夕方を迎えることが怖かった。夜はひとびとが寝静まっているから、じぶんが何もできなくても少しだけ平気だった。正直ここで倒れた原因には明らかなトリガーがあり、詳しくは書かないが、音楽を聴いていないと思考がトリガーの内容ばかりになっていた。ベッドの中で、BURGER NUDSを聴いている時間だけは、トリガーになったことを思考しなくて済んだ。まったく頭が働かなかったので、歌詞に関しては内容が入ってきていなかった。いままで何度も救われた経験があり、じぶんを傷つける音楽じゃないことはわかっていたので、BURGER NUDSの音楽がシェルターのようにじぶんを守ってくれた。

 

 音楽に救われました、という言葉を私は軽々しく使いたくないと思っている。「救われた」と頻繁に言っていては価値が下がるような気がするからだ。それでも、たしかに私はBURGER NUDSに何度も救われてきた。

 2012年はそもそもBURGER NUDSは活動しておらず、私も札幌の高校生だったので気軽に東京のライブには行けなかった。

 2018年にやっと就職とともに上京したが、結局BURGER NUDSのライブに行くタイミングを逃し続け、気がついたら数年ライブ活動が止まっていた。

 2024年は門田氏ソロ名義でのライブも多く、このままソロでの活動が増えていき、もしかしたら私がBURGER NUDSを観られる日はもう来ないのかもしれないという諦念もあった。

 私が聴いてきたBURGER NUDSの音楽には、個人的で辛く、苦しく、悲しい日々の記憶が染みついていた。

 

***

 

 今回、BURGER NUDS名義のライブが発表されたとき、嬉しさと同時にどこか夢心地というか、現実味を感じなかった。BURGER NUDSの曲たちは、ずっと私のイヤホンの中で、10代や20代が持ち合わせる傍から見れば軽薄なのかもしれない絶望とともに、ひとりきりで膝を抱えて聴いていた音楽だったからだ。

 

***

 

 当日、緊張で胃が痛くなりながら、仕事を早上がりして新代田FEVERに向かった。整理番号は120番台だったが、BURGER NUDSの出番にはタケル氏側の2列目で観ることができた。

 初めて観たBURGER NUDSは、結論から言うと、とても楽しく、青春の音が鳴っていた。タケル氏はドラムを叩きながら何度も眼鏡を吹っ飛ばし、アンコールでまた眼鏡が戻ったと思ったらまた吹っ飛ばして、最後の最後には眼鏡をステージ上で探して笑顔でステージから捌けていった。

 私の、辛いことばかりだったBURGER NUDSの思い出に、鮮やかな色がついた、と思った。

 「空気清浄機」の緊張感がある鋭角なギターを弾いているひとの横で、疾走感あふれるドラムを叩いているひとがいる。タケル氏はとても楽しそうにコーラスも担当していた。正直、学生時代はBURGER NUDSのメンバーが誰なのかもよくわかっていない状態でひたすら曲だけを聴いていた。実際にライブに足を運んで、ステージ上には生身の人間がいて、ライブだとこんな風に笑って、しゃかりきにドラムを叩いて、眼鏡を吹っ飛ばして楽しそうにドラムを叩く姿が印象的だった。

 新代田FEVERは、BURGER NUDSを待ち焦がれていたひとで溢れかえっていた。当時からライブに行っていたひと、最近知ったひと、いろいろなひとがいると思う。普段生きていたら交わらないようなひとたちが、同じ場所で、同じ音楽を聴いて、ステージに思いを馳せることは、美しい時間だった。

 

***

 

 終演後にはBURGER NUDSのTシャツの物販があった。物販には門田氏もタケル氏もみずから立っていて、お客さんたちとひとこと、ふたこと交わし握手していた。

 物販列は新代田FEVERの会場の外にまで伸びていて、列整備のスタッフさんまでいた。物販に立ち寄ったお客さんたちはみな楽しそうで、もちろん私もその中のひとりに混ぜてもらった。

 

***

 

 まだまだBURGER NUDSのライブで聴きたい曲がたくさんある。もうオリジナルメンバーでは観られないのかもしれないが、今後もライブ予定があることは大変喜ばしい。新譜だってもしかしたらリリースされる可能性もあるかもしれない。過去のじぶんが聴いていた音楽とともに、楽しい思い出が増えていくことは希望だと思った。私はじぶんのことは死にぞこないだと思っているが、死にぞこなったからこそ、たくさん美しい景色を観ることができて、ずっと人生のボーナスステージなのかもしれない。

 

 

 

THE YELLOW MONKEY TOUR 2024/25 〜Sparkleの惑星X〜(神奈川県民ホール 大ホール)2024/10/15 初日感想(ネタバレあり)

 

 THE YELLOW MONKEY TOUR 2024/25 〜Sparkleの惑星X〜(神奈川県民ホール 大ホール)に参加した。

 神奈川県民ホールに向かう途中の道にも、ホールの前にも、「チケット譲ってください」とボードを持った人がいて、やっぱりツアー初日だからなのだろうかと思いながら会場に向かった。

 

 以下セットリスト。

 

SE:考える煙

 

SHINE ON

ホテルニュートリノ

薔薇娼婦麗奈

FINE FINE FINE

Exhaust

A HENな飴玉

ROCK STAR

遥かな世界

赤裸々GO! GO! GO!

街の灯

ソナタの暗闇

ラプソディ

Make Over

復活の日

 

アンコール

 

Kozu

バラ色の日々

悲しきASIAN BOY

 

 イエローモンキーの今回のホールツアーはブロック1、ブロック2、ブロック3と3つのブロックに分かれている。おそらく各ブロックでセットリストが異なるのだと思うが、ブロック1では1994年発売のアルバム『jaguar hard pain』をメインに置いたセットリストだった。

 各ブロック限定のグッズがあり、デザインは当日まで隠されていたのだが、SNSで先行発売でグッズを買っている人の投稿に「1944-1994」と書かれたTシャツがあり、これは……ジャガーハードペインでは……と思ったらやはり当たっていた。

 

 ジャガーハードペインとはどんなアルバムなのか。

 

 1994年

 3月1日に3rdアルバム『JAGUR HARD PAIN』をリリース。"1994年に戦死した男、ジャガーが現代に蘇り恋人マリーを探しさまよう"というアルバム・コンセプトを遂行すべく吉井はヘアスタイルも丸坊主の軍人カットに。春、夏、冬と3本のツアーを通し、一年がかりで"恋人マリーと出会う"というストーリーの結末に向け、シアトリカルなステージを展開。

 (ロッキング・オンTHE YELLOW MONKEY COMPLETE BURN、第二刷、2008年、477p、p.474)

 

 まあ文章だけ読んでもよくわからないと思うので、聴いたことがなければ一度最初から最後まで通してアルバムを聴いてみてほしい。

 

 

 

 「ホテルニュートリノ」までは普通に、イエローモンキーのホールツアー初日だ~という感じで観ていたのだが、「薔薇娼婦麗奈」の次に「FINE FINE FINE」が来た辺りで「ジャガーハードペインじゃん」と気がつき、あとはひたすら初日の混沌の中繰り広げられるイエローモンキーのライブを堪能していた。

 私は1995年生まれのためジャガーハードペイン発売当時はギリギリ生まれていないのだが、おそらく2009年くらい、札幌のGEOでジャガーハードペインを借り、部屋で独り聴いている中学二年生だった。

 今回のツアーでは披露されていないが、「RED LIGHT」の歌詞には「商業音楽でこんな歌詞を歌っていいんだ」とビビっていた。

 

THE YELLOW MONKEY RED LIGHT 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 

  イエローモンキーにおける吉井和哉はメンバーに見守られながら、ひとりで十字架を背負っているように見える。

 今年は東京ドーム公演があり、イベントやフェスにも出演し、「外向きのイエローモンキー」として活動することが多かった。(その前にFCイベントはあったが)

 ホールツアーの初日でジャガーハードペインを背負って出てきた吉井和哉は、決して外向きのフロントマンではなく、たしかにロビンとしてのILLNESSを纏って、黒く長い髪で、黒いシャツと黒いスーツに身を包み、ときにはシャツのリボンで自らを目隠しし、ステージには這いつくばり、奇声を発しながらエマに絡みに行き、とにかく、「ロビンとしてのILLNESS」が復活していて私はとても嬉しかった。

 イエローモンキーのライブで遭遇しがちな「めちゃくちゃカラオケをする客」問題は、カラオケをする客がいるくらいバンドとして普及した証左である。

 「めちゃくちゃカラオケをする客」にも容赦なくジャガーハードペインの世界観を浴びせに行くところがイエローモンキーの魅力であると思っている。

 

 『Sparkle X』のコンプリートエディションで「Kozu」を聴いたとき、今回のツアーで重要な位置に来る曲だろうと思った。アンコールの1曲目で演奏されたとき、吉井和哉が、イエローモンキーが伝えたいことと私が考えていたことの答え合わせをした気がした。ブロック1でジャガーハードペインが選ばれた理由も、もちろん該当のアルバムが30周年ということもあるが、それだけで選ばれたわけではないのだろうと私は勝手に受け取った。

 

 ジャガーハードペインを選んでも、アンコールの1曲目に「Kozu」を持ってきても、きっと1から100まで説明しないと分からない人間には伝わらない。私はすべての人間が理解する必要はないと思っている。それでも、数多いるリスナーの中の一部には確実にメッセージは伝わっていて、たったひとりにでも伝われば(もちろんもっと多くの人間に伝わっているのだが)バンドとしての意義があると考える。

 1994年の曲と2024年の曲を並べても、一貫性があるところが吉井和哉の詞の強度だと感じた。来年の4月まで続くこのツアーで、バンドがこれからどう転がっていくのかを追いかけていきたい。

 

 

ねえ どうしても わからないの?

もう やめてよ 愚かなこと

倒れた人々の顔 そばかす 白い頬に付いた

土の中に眠る 空は果てしなく灰色

この世界とは なんのためにあるんだろう

神様はもう ここへ来ないの?

 

(THE YELLOW MONKEY-Kozu)

 

2023/12/26(Tue) LIVE HOUSE FEVER FEVER Presents 「UЯA The Novembers」雑感ー神の手はにじむピンク

 2023年12月の「UЯA The Novembers」の感想を書くつもりが、ぼんやりしているうちに9ヶ月も経ってしまった。自分にとって大切なライブだったのでここに記しておく。何しろ9ヶ月も経ったため、記憶が曖昧だったり、MCが間違っていたり、勝手に情報が足されていたりする可能性があるが大目に見てほしい。大幅な間違いがあったらXでこっそり教えてください。

 

2023/12/26(Tue) LIVE HOUSE FEVER FEVER Presents 「UЯA The Novembers

セットリスト

 

1.抱き合うように

2.Mornig Sun

3.FIGURE 0

4.James Dean

5.Arlequin

6.鉄の夢

7.ア_-オ

8.ウユニの恋人

9.Seaside

10.GAME

11.she lab luck

12.誰も知らない

13.BOY

14.dogma

15.Blood music.1985

16.黒い虹

 

En.1ドロップ(ミッシェルガンエレファントカバー)

En.2.今日も生きたね

 

 小林祐介が黒スーツに黒ネクタイ、おそらく黒いブーツでステージに登場したとき、ああ今日は小林祐介チバユウスケの追悼をやるのだ、と思った。2023年12月12日に神田POLARISで行われた、ケンゴマツモトとYuki Tsujiiのライブ「指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払ったピアノを弾け」でもケンゴマツモトがミッシェルガンエレファントの「サニー・サイド・リバー」をYuki Tsujiiと共にカバーしていた。当時、ケンゴマツモトの「急遽一曲やる事にしました」という投稿を見て、ケンゴマツモトならミッシェルのカバーをやるに違いないと当日券で駆け込み、のサニー・サイド・リバー再解釈を聴けたことも印象に残っている。

 

 「裏へようこそ。The Novembersです」

 

 小林のこのMCからライブは始まった(たしか)。

 ライブでは終盤に演奏されることが多い「抱き合うように」から始まり、私は「抱き合うように」を聴きながらずっとチバユウスケのことを考えていた。

The Novembers 抱き合うように 歌詞&動画視聴 - 歌ネット (uta-net.com)

めんどくさいね 生きることって どうしようもなく

うまく歌えない それだけで

嬉しかったこと思い出せなくなっても 僕らは歩こう どこまでも

あざやかに飛んだ あざやかに飛んだ

虹の向こう 虹の向こうへ

くるしまないで あざやかに

かなしまないで あざやかに

 「抱き合うように」はもちろんチバユウスケが亡くなる前に作られた曲だが、この曲が収録されているアルバム「The Novembers」のリリース日は2023年12月6日だった。ノーベンバーズはアルバムリリース前にツアーを行っていて、2023年12月1日に渋谷O-EAST行われたライブで「抱き合うように」を聴いて私が感じたことと、アルバムがリリースされて12月6日に(チバの訃報は12月5日だった)「抱き合うように」を聴いて感じたことが私の中では大きく変わった。優しくて歌詞がいい曲だな、とライブで聴いていた曲が、12月6日からはレクイエムへと変化した。

 以下、小林のMCニュアンス。

「2016年に声帯ポリープの手術をして、手術をするってことはそれまでの声だとか記憶だとかが変わるっていうことで不安だったんですけど、復帰後初のイベントがThe Birthdayとの『首』ってイベントで、そのイベントのときに声が出るのか不安で、ずっと震えてたんですけど、リハのThe Birthdayを観て、お客さんは一人もいないのに世界に向けて歌っている気がして。そのときにチバさんが『ユウスケくんは大丈夫だよ、"持ってる"から』って言ってくれて。当時はその意味がよくわかってなくて、『チバさんに褒められた、やったー』ってキャピキャピしてたんですけど。今になってその"持ってる"っていうのが、バンドメンバーだったり、家族だったり、場所だったり、お客さんたちだなって思って。僕は一緒にやってるメンバーが生きてるんだなって」

 小林は何度も何度も言葉に詰まりながら、涙ぐみながら、The Birthdayとの思い出を話していた。

「僕らを導いてくれたバンドの曲をやります」

 そう小林が言って、それからドロップのイントロがかき鳴らされた。

 私がノーベンバーズのドロップを聴くのは2回目だった。1回目は正確にはケンゴマツモトの演奏で、2019年8月2日に行われた、小林祐介とケンゴマツモトがゲストだった銀座のアベフトシ展で聴いた。ケンゴマツモトがドロップのリフだけ弾いて、そのあと小林とケンゴマツモトの二人でダニー・ゴーをカバーしている。

 黒スーツで、黒ネクタイでドロップを歌う小林は、チバユウスケへの、ミッシェルガンエレファントへの敬意で溢れていた。

 ドロップのあとに演奏された「今日も生きたね」は切実さを孕んでいて、「抱き合うように」から始まり、「ドロップ」のカバーのあとに「今日も生きたね」で終わるライブの構成が美しかった。確実にセットリストに意味があり、小林は追悼に徹していた。

「またいい未来で会いましょう。みんな元気でね」

 いつもの小林の言葉で締めくくられ、ライブは終演した。良いライブを観たあと私は決まって電車を乗り過ごすのだが、相変わらず電車を乗り過ごし、遠回りの帰路でミッシェルガンエレファントのライブバージョンのドロップを聴いた。じりじりと夜になる。じりじりと夜をゆく。神の手はにじむピンク。

 

 

THE GOOD KIDSライブ感想や日記

 SNSでは続々と野外フェスの出演者の発表がされていく。いつもの癖でバンド名を探す。当たり前だがそこにはもうThe Birthdayはいない。

 フェスに行けても行けなくても、出演者発表を見るだけで楽しかった。ずっと全国をまわっているバンドが続いているだけで嬉しくなった。春から夏にかけては他のバンドマンとビール片手に写真に写るチバを見かけては、ああ今日もチバが楽しそうでよかった、と思っていた。

 すべてが過去形になってしまうのがどうしても寂しい。

 

 2024年2月25日、THE GOOD KIDSのライブを観に下北沢club Queに行った。入場時には受付で5月のジェッジジョンソンのワンマンライブのチケットも購入した。もちろんジェッジジョンソンは元々好きなのだが、藤戸じゅにあさんがXで次のワンマンではチバさんの曲をカバーしますと書いていたからだ。

 THE GOOD KIDSのライブの開演前DJでは、フィッシュマンズスチャダラパースカパラが流れていて、みんな好きに踊りながら開演を待っていた。開演前の最後に、The BirthdayのLOVE ROCKETSが流れた。LOVE ROCKETSが流れる中でQueの二位さんがステージに出てきて、満員なのでみなさん入り口側から奥まで寄ってください、というような挨拶をして、お客さんはちゃんと下手側に移動していた。

 初めて行ったTHE GOOD KIDSのライブは楽しかった。スカパラの大森さんがいる上手側で観ていたので、周りをノリの良いスカパラファンのお姉様がたに囲まれて、ああスカパラのライブもこんな風に楽しいんだろうな、と思った。

 中盤にゲストでフジケンが呼び込まれて出てきたとき、私は寂しくなってしまった。私は前回のTHE GOOD KIDSのライブには行っていないので、フジケンは最後に観たときよりやつれていたように見えた。それでもMCで奥野さんが喋り倒すときには微笑む場面もあって、少し安堵した。

 フジケンはゲスト扱いなのでギターを下手側で弾いていたのだが、いままで上手側で観ていたことや、隣に当たり前にいた人間がもう永遠にいないこと、もしかしたらQue30周年でここでThe Birthdayを観られたかもしれないこと、すべてのifを想像して強烈にチバの不在を感じた。

 フジケンより後から呼び込まれたゲストのTOSHI-LOWは、MCでフジケンに「チバの前のバンドはEvery Little Thingだっけ?」と絡んだり、アンコールで青いTHE GOOD KIDSのグッズTシャツを着ていたフジケンに「バースデーで青なんて着たら解雇だよ!」と絡んだり、彼なりの優しさを見せていて、それもまた嬉しかったり、寂しかったりした。

 2018年のウエノコウジ生誕祭ぶりに、TOSHI-LOWがカバーする「満月の夕」を聴いた。私は特別BRAHMANを聴き込んだりライブに足繁く通ったりしているわけではないのだが、「満月の夕」のカバーを聴くと、歌が持つ力を信じたくなる。震災はもちろん、このタイミングで聴く「満月の夕」は鎮魂が含まれていると、受け手として勝手に想像してしまう。

 下北沢から自宅まで帰る電車は人身事故でダイヤが大幅に乱れていた。人はいつだって死ぬ。暑い日も寒い日も晴れた日も雨の日も雪の日も人は死ぬ。私は自裁(あえてこの単語を選ばせてほしい)も病死だと思っている。

 本来使いたいルートの電車が来なかったので迂回して帰宅した。迂回した埼京線の女子トイレで、チバがいないことを思って少し泣いた。

 べつにわざわざSNSに書いても仕方ないので書かないけれど、ここは個人的な日記なので弱音を書き出すと、今でも夜眠る前にチバがもうこの世界のどこにもいないことをふと思い出して、泣きながら眠っている。

 音楽も映像もこの世に残る、頭では理解していても、もう二度と、目の前で歌は聴けない。

 いまできることといえば、遺された新譜を待つことだけだ。

 若くても若くなくても病気でも病気じゃなくても、人はいつだって簡単にいなくなる。私もあなたも、ふっと永遠にいなくなる瞬間が訪れる。 

 べつに死というのは悲しみだけではない、と私は思う。いつか死ぬから頑張れることがあって、いつか死ぬから諦められることがあって、いつか死ぬから美しい景色に焦がれる。

 いつか死ぬのに、私たちはたくさん思い出を作ろうとする。いつか死ぬけれど、ひとはひとりで生きているつもりでも意外とひとりで生きていないから、誰かの記憶には、たぶん、一般人の私ですら、ひとりかふたりかはわからないけれど、死んだあとにも記憶に残り続ける。

 世界の終わりを想像してみる。終わりっていうのは案外悪くないんじゃないかと、私は希望を捨てきれないのだ。

チバユウスケへ 献花の会 『Thanks!』のこと

 チバユウスケへ献花の会に行ってきた。

 

 最初の先行でチケットが取れなくて、ああ献花もできないのか、と落ち込みながら再度応募して、21時の追加枠のチケットが取れて安心した。ありがとうを伝えられるのだと。本当に献花に行きたくて、今後の人生わが身に降りかかる不幸をすべて受け入れるから献花だけは行かせてくれと、どこにいるのかも誰かもわからない神にずっと祈っていた。チバが見ていたらそんなことを祈るんじゃねえと笑うだろうな。

 仕事は半休を取って、手持ちの服の中からライダースジャケットを選んで、ヴィヴィアンウエストウッドのネックレスをして、19時にはZepp DiverCityの最寄り駅、東京テレポート駅に着いていた。電車を降りて、駅のエレベーターにはすでにTMGEのパーカーやルードギャラリーのスカジャンを着ている人がいて、ああみんな献花に来たんだ、と思った。

 DiverCityのタワーレコードが、献花の日The Birthdayだけを店内で流すとSNSで投稿をしていたので、献花の前に立ち寄った。展開されていたチバユウスケ関連のCDはすべて売り切れていた。

 21時の回の集合時間は20時半で、タワレコに立ち寄ったり、DiverCityのヴィレヴァンポケモンのグッズを見たりしてもまだ時間に余裕があった。事前に献花に関して自分の枠の時間内は、献花が終わったあとも会場内に残っていていいということをSNSで知っていたので、長丁場でお腹が空くだろうと思いフードコートできつねうどんを食べた。はなまるうどんのお客さんにも全身黒で固めた、献花に来たのだろうなというお兄さんがいた。

 20時からはThe Birthdayの公式インスタグラムのアカウントで献花の模様が配信されていたので、集合時間までインスタライブを観ていた。インスタライブを観ているだけで、どうしようもなく泣けて泣けて仕方なかった。「チバのおかげでいい人生だよ」と一言だけコメントしている人がいて、すごくいいなと思った。ねえ、私もチバのおかげでいい人生だよ。すごく格好良いコメントだから私が思いついたことにしたいくらいだった。

 集合時間が近づき、待機列に向かった。たくさんの人がいるのにしんとしていた。冬のよく晴れた、風も強くなく、比較的あたたかい澄んだ空気の夜の中で、みんな同じ人のことを考えながら並んでいた。私は献花のインスタライブをイヤホンで片耳だけ聴きながら待っていた。周りにもインスタライブを観ている人がいて、イヤホンも無しで観ている人がいたので武蔵野エレジーが小さく聴こえていた。

 待機列が動き、Zepp DiverCityの階段を下りて、入り口で電子チケットを確認しているときからすでにエントランスでThe Crestsの「Sixteen Candles」が聴こえていた。ああ、The Birthdayのライブに来たんだ、と思った。

 黒いパンツスーツを着たスタッフのお姉さんが、濃いピンクのガーベラを優しく手渡してくれた。淡いピンクでもなく、赤でもなく、濃いピンク。今ならこの色の意味がわかる、これはきっと、にじむピンク。 

 チバの写真が並ぶエントランスを抜け、会場に入るとカレンダーガールが流れていて、いいな、と思った。明るくてかわいくてちょっとさみしい曲。カレンダーガールで泣いたことなんてなかったのに並びながら泣いていた。そして、リリィが流れてきて、泣き止んで、ああずっとリリィとか、私の回では流れていなかったけれどジェニーとか、たぶんそういう曲だけ流れていれば泣かずに済むかもなとか考えているうちに自分の献花の番が近づいてきて、おそらく1~22列まで分かれている中で一番空いていた、一番端にあった22列に並んだ。真ん中にはマイクやギターがアンプがあったからみんな真ん中の列に並んでいたのだな。私は泣き崩れないようにすることに必死で全然そんなことを考える余裕がなかった。

 献花なんてしたことないからやり方が全然わかんねえな、と思いながら、両手でガーベラを献花台に、たくさんの花が並んでいるから花の上にそっと置いて、それから少しだけ祈った。仏壇に手を合わせるように手を合わせていた人が多かったけれど、まあアンプの上にマリア像もあるし、あれだけマリアのモチーフを歌詞に出していた人の前では祈るのがいいのかもなと思って、祈った。

 最後に何を伝えようか、色々考えてきたのに結局いざ伝えようとすると全然まとまらなくて、泣いてぐしゃぐしゃになった顔で、私はチバに出会えて幸せだったよ、これからも幸せになるね、と伝えてきた。神さまじゃねえんだから幸せになるって祈られても知らねえよってチバには言われるだろうな。

 私の献花のときには、おそらく「青空」が流れていた。チバが「お前の未来は きっと青空だって 言ってやるよ」と伝えてくれているのだと思うことにしたい。

 ぐしゃぐしゃに泣いていたから下を向いて早足で献花台の前を後にして、チバのギターもアンプもマイクも直視できなかった。でも今までライブでちゃんと観てきたから、ライブの思い出を大切にしようと思う。

 会場の後方に一段高くなっている、献花が終わったあとも残っていていいスペースがあって、名残惜しくて他の人たちと残ってステージを観ながら流れている曲を一緒に聴いた。他の人の献花の様子も見えて、帽子を取って深々とお辞儀をする人、ステージに手を振る人、髪型も髭の生やし方も服装もすこし猫背で歩く姿もすべてチバを完コピしている人、いろいろな人がいた。この人たちと一緒に過ごすのも今日が最後なのかもしれないと考えた。

 近くにいた女の人の横顔から涙がぼた、と落ちて、人がこんな風に涙を流すところを初めて見た、と思った。私も泣き続けていたのだけれど。

 あらためて献花のステージを観て、キャンドルが16個あって、背景には星空みたいにたくさんのライトがあって、ライブハウスなのに花の香りがしていた。

 献花中のセットリストはうろ覚えだがおそらく、カレンダーガール、リリィ、青空、星の少年、サニーサイドリバー、愛でぬりつぶせ、KAMINARI TODAY、READY STEADY GO、ローリン、最後にOH BABY! のライブバージョンが流れて、チバが「またここで会おう」と言って終わって、完璧なセットリストだ、と思った。それから音量が絞られて君に会いにゆこうが流れてきて、みんなチバに会いにきたんだよと思った。READY STEADY GO、ローリン、OH BABY! の流れが、本当にThe Birthdayのライブみたいだった。

 OH BABY! の後に拍手が起こって、それから拍手がやまなくて、まるでライブのアンコールみたいに拍手の拍子が変わって、拍手の中でのーやん(能野哲彦さん)が会場のスペースにいるお客さんの近くまで来て「これから(会場の)バラしがあるんで、でも音は止めたくないんで」と言った。私は泣きながらうなずくことしかできなかった。だから申し訳ないけど帰ってねという雰囲気をのーやんが伝えに来て、それからお客さんがやっと出口に向かっていった。男の人の泣き声や、チバ、という叫び声が会場に響き渡っていた。

 「アンコールはない 死ねばそれで終わり」、THE YELLOW MONKEY の「Four Seasons」にある歌詞だけれど、アンコールがないことで、チバの強烈な不在を感じた。ライブだったら、アンコールでビール片手のチバが出てきて、心底楽しそうに歌っていくのに、もう二度とアンコールは観られない。誰も袖から出てこないステージを見て、もうチバがいないことを理解した。The Birthdayのライブを二度と観られないことも、理解した。理解はしたけれど、やっぱりどうしようもなく悲しい。

***

 「OH BABY!」を初めて聴いたのは、2018年12月22日、新宿LOFTで行われた「URASUJI. 20th ANNIVERSARY」のチバのDJでだった。当時未発表だったOH BABY! を、チバはあのいたずらっぽい笑顔で、口の前でバツのマークを作りながら、私たちに聴かせてくれたのだった。私は目の前でDJをするチバを観ながらOH BABY!を聴いて、ひたすらに感動していた。

***

 会場の出口にはチバの写真と、The Birthdayのグッズだった「なかよしTシャツ」の原画が飾ってあった。たぶん天使とたぶん悪魔が並んで、天使が悪魔に肩を組んで笑っているキュートなイラスト。

 スタッフのお兄さんからメモリアルフォトを受け取って、会場を出たら大声でジェニーを歌っている野良の集団がいて笑ってしまった。しかもそれに呼応して離れたところで一人でジェニーを歌いだす男の人までいた。

***

 終わってしまった、本当に終わってしまったんだな。

 14歳でチバの音楽に出会って、それからきっちり14年経って私は28歳になった。人生の半分をチバの音楽と過ごしてきた。本当はずっと、私が死ぬまでずっと、チバが私の人生にいてほしかったけれども、半分も一緒にいてくれたんだな。

 生きなきゃなあ、と思う。

 これからもチバの音楽を聴いて生きていくよ。ありがとう。またどこかで会おうね。